幼い頃から、野球が大好きでした。近所の子ども数人で集まって、
空き地に板のベースを置いてダイヤモンドを作り、ビニールボールでミニ野球をしていました。
当時は、子供の中での不動の人気スポーツが野球だったというのもあり、
遊ぶ=野球という感じで、毎日夕方暗くなってボールが見えなくなるまで遊んでいました。
中学生の頃は、テレビで高校野球観戦することが何よりの楽しみでした。
春休みや夏休みは地方大会の結果や注目選手の情報を新聞やテレビでチェックして、
大会をいつも楽しみにしていました。
私が中学時代に、あの松井秀喜選手が高校生で、
後に語り草となった全打席敬遠などの試合をテレビで手に汗握りながら見ていました。
私が進学した高校は、数十年前にたった一度だけ甲子園へ行ったことがあるという、
今では弱小の野球部しかない高校でしたが、マネージャーになることに迷いはありませんでした。
弱小でも、部員さんたちは毎日必死に練習しているし、その姿にいつも熱くなっていました。
毎年夏の予選大会前には、マネージャー全員で千羽鶴と「闘」などの字を表した鶴を折って、選手に渡していました。
合言葉は「めざせ甲子園!」。
そんな私たち野球部を、「こんな学校で甲子園に行けるわけないやろ」とバカにする人もたくさんいました。
それでも、私たちはいつも真剣だったし、野球に明け暮れた高校時代の三年間は、忘れらない夏の思い出です。
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